大判例

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東京高等裁判所 昭和32年(う)2837号 判決

被告人 小倉ミチヨ 外一名

〔抄 録〕

弁護人M控訴趣意第一点及び同S控訴趣意第四点に対する判断。

思うに、科学書において具体的事例を研究資料として取り扱う場合においては、その対象たる事例を客観的に観察または研究した結果を普遍的な法則との関連において記述するを通例とし、とくに性的な具体的事例を取り扱う場合においては、性的刺戟を与える虞ある露骨詳細な記述を避けるべきものであつて、具体的事例として徒らに性慾を刺戟し、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する記述あるものをそのまま資料として掲げ、またはこれを論文中に引用するにおいては、全体としては猥褻文書たるを免れないものというべく、性科学書であるからといつて、その引用しまたは資料として掲載した記述の猥褻性が払拭せらるべきものではない。(昭和二七年一二月一〇日東京高等裁判所判決参照)本件についてこれをみるに、本件文書が故小倉清三郎研究報告顕彰会復刻「相対会研究報告」なる書名で、第一号から第六号まで順次出版せられ、その各号の冒頭に論文の部として、「性的経験概論」なる題名、小倉清三郎なる執筆者名義で掲載されている部分に関する限りにおいては、性研究の論文としてあながち刑法第一七五条にいう猥褻文書に該当するものとはいわれない。しかしながら、その各号に資料の部として掲載されている「女百態」(第一、二号)、「A氏の日記の一部」(第一、二号)、「或青年の性的回顧」(第二、三号)、「それからそれ」(第三、四号)、「忘れ難き二十二才の娘」(第三、四号)、「或る中学生の手紙」(第四号)、「八面鉾」(第四号)、「あの女」(第五号)、「赤い帽子の女」(第五、六号)、「女から挑まれた経験」(第五、六号)、「事務所生活の数頁」(第五号)、「彼女と彼」(第六号)及び「短篇集十篇」(第六号)と題する各篇にいたつては、いずれもほとんどその全篇にわたつて男女性交の状態を露骨詳細に描写し、人をして羞恥嫌悪の情を生じさせる記述の羅列であつて、いずれも徒らに性慾を刺戟し、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する猥褻文書の蒐集に外ならざるものである。しかも右各資料について前示論文の部に引用または解説されているのはごく一部分に過ぎず、性研究の具体的事例として客観的に観察または研究した結果を普遍的な法則との関連において記述した跡のみるべきものはなく、ただ猥褻記述が原文のまま資料として掲載されていて、所論のごとく、本書の論文の部分とが一体となつて、一つの性科学論文を形成し、学問的体系をなす報告書とはとうてい認むべくもない。いわんやこれを量的にみても、各号約二〇〇頁のうち、論文の部分は二〇頁ないし、五四頁であるのに比して、資料の部分は一〇〇頁ないし一四九頁であるから、すなわち本書各号の大部分が猥褻記述であつて、本件文書各号がいずれも全体として刑法第一七五条の猥褻文書に該ることは各文書自体によつてまことに明白である。しからば、この点について、原判決に事実を誤認し、または法律の解釈を誤つた違法は存しない。であるから、本件文書の猥褻性を否定する所論はいずれも排斥せらるべく、該論旨は理由なきものである。

弁護人M控訴趣意第二点及び第三点、弁護人N控訴趣意のうち原判示第一の事実に関する部分並びに弁護人S控訴趣意第一点に対する判断。

およそ、刑法第一七五条の猥褻の文書、図画その他の物を販売する罪は、いわゆる風俗を害する罪であつて、性的秩序ともいうべき一定の社会生活上の秩序を維持するため猥褻の文書、図画、その他の物を公表することを禁止することを目的とするものであるから、同条にいう「販売」とは、多数人に対する有償の譲渡を建前とし、たとえ少数人に対する場合であつても、相手方が不特定であるときはすなわち公表性を帯びるが故に、これまたその有償の譲渡を禁止する法意と解すべきであつて、所論引用の判例にいう「不定多衆」とは「不定または多衆」の意義に解すべく、これを「不定かつ多衆」と解すべきではない。すなわち、多数人であつても特定している限りはこれらに配布することは同条にいう頒布または販売には該らないとする所論は、同判決の趣旨を誤解した独自の見解というの外なきものである。本件についてこれをみるに、原判示第一の事実については、被告人等が共謀の上同判示文書を鈴木恵一外一三五名の多数人に配布したことは被告人等も自認するところであり、証拠上も明白であるから、たとえその相手方が特定していたとしても、それが猥褻文書であるにおいては、有償の譲渡である場合には同条の販売罪、無償の配布である場合には同条の頒布罪に該るものであることはいうをまたないところである。然り而して本件文書の配布が有償の譲渡行為であることは、関係証拠、とくに、被告人両名の原審公廷における供述及び被告人望月の昭和三〇年三月三〇日付検察官供述調書などによれば、本件文書の原価は一部せいぜい二〇〇円であるのを読者には一部五〇〇円で配布していること、そして原審相被告人千葉治、高橋鉄及び斎藤昌一に対しては数十部をまとめて一部三七五円で売り渡し、同人等の手から読者に一部五〇〇円で分けていたことが認められるので、これらの事実に徴するも、その有償の譲渡行為であることは明らかであつて、これを所論のごとく、組合員が共同して本書を製作して、その出来上つたものを配分し、その製作に要した費用を組合員各自が分担したものであるとか、本書は組合員の共有であり、組合員各自一部づつ責任をもつて保管するものであるというがごとき主張はとうてい肯認できないところである。もしそれ、所論引用の相対会規約にある右各主張に副うがごとき文言にいたつては、およそ法網をくぐり、検挙を免れんために作為偽装されたものに過ぎないものと認められるが故に、これらを根拠とする所論は採るに値しないものである。なお本件においては、被告人等が所論のごとく本件文書を特定の人に配布する目的に出でたものとは認められない。なんとなれば、本件文書の配布は外形上は「故小倉清三郎研究報告会第一組合組合員」(相対会会員と略称)のみを対象していて特定しているもののごとくであるが、関係証拠なかんづく、原審第九回公廷における被告人小倉の供述調書及び押収にかかる会員名簿一冊(東京高等裁判所昭和三二年押第一〇二七号の一)及び入会申込書一綴(同押号の二四)に徴すれば、

(一)被告人小倉は、相対会を復活しようと考えて、被告人望月と相談の上、本件文書を五〇〇部印刷することとし、相対会の栞を一、〇〇〇部刷つて、汎く旧会員身内、友人に配つたこと、

(二)入会申込をした人を被告人小倉において選考したというのであるが、その選考たるや、入会申込書だけ送つて来て、会費と入会金を送つて来ない人があつたので、その人は除いたというのであり、入会申込者に被告人小倉から入会承諾書を出した標準は、身分、年令、職業、経歴によつたというのであるが、入会を拒絶したのは、わずかに二、三人であつて、その理由は世間でいうエロ本を読んでいるという人と、その他の理由で拒絶したのが一人あるが、それは植田秀がエロ本を前に売つたことを聞いたので断つたのであるということ、

(三)被告人小倉が会員として受付けたのは全部で約二九〇人の多数であつて、その入会申込書には職業と略歴とを書くことになつているが、そのうちには略歴の記載のないものが相当数あり、まれではあるが職業までも記載していないのがあるのにかかわらず、これらをすべて会員として本件文書を配布していること。

などが明らかであつて、これらの事実に徴すれば、会員組織というもその資格選考たるやまつたく形式的であり、その範囲も所論引用の表のごとく、学歴は小学校卒業から大学卒業、職業も各般十数種類、年令も二〇代から六〇代にわたつていて極めて汎く、ほとんど無制限に来る者は拒ばまぬやり方であつて、これを特定の者に配布する目的に出でたものとはとうてい認むべくもないからである。また被告人小倉が会員に本件文書を配布するに当つて、一冊毎に会員番号を付し、かつ自身拇印を押したことは所論のごとくであるが、これは同被告人が原審公廷において供述したところによれば、もつぱら、にせ物や横流しを防止するために押したのに過ぎないものであつて、これあるがために、右文書の配布の相手方が特定されていたこと、または右配布が有償譲渡行為ではないとする論拠とはなしがたい。また所論検察官提出の証拠物である本件報告書については、原判決も右文書そのものが被告人小倉の手から販売されたとは判示しているのではなく、これと同一の内容の文書を販売されたものとして証拠として挙示しているのであるから、なんら違法をもつて目すべきではない。かくして被告人両名の本件文書の配布は不特定かつ多衆に対する有償の譲渡行為と認められるが故に、仮に所論引用の大審院判例の「不特定多衆」の解釈につき所論独自の見解を採るとしてもまさに刑法第一七五条にいう販売行為に該当するものである。然り而して、本件文書が猥褻文書であることは前説示によつて明白であるから、被告人等の原判示事実第一の所為を右法条の猥褻文書販売罪に問擬した原判決はもとより正当であつて、所論引用の大審院判例に反して法律を不法に適用した誤は存しない。であるから、各弁護人の所論はいずれも排斥せらるべく、該論旨は理由がない。

弁護人M控訴趣意第五点及び第六点に対する判断。

猥褻文書販売罪における犯意の成立には、当該文書の内容たる記載を認識し、かつこれを販売することの認識があれば足り、右文書の内容たる記載の猥褻性に関する価値判断についての認識を必要としない(前掲東京高等裁判所判決参照)。であるから、たとえ被告人小倉が所論のごとき事情から、本件文書が猥褻性のないものと確信していたからといつて、同文書の内容たる記載を認識しかつこれを販売することの認識のあつたことは証拠上明白であるから、本件犯行につき犯意がなかつたとはいわれない。また所論引用の無罪判決は、押収にかかる同判決書写(前同押号の三七)によつて明らかなごとく、出版法違反被告事件について、被告人小倉清三郎が同事件文書の著作者であることは認め難いものであるとして同人に無罪の言渡をしたものであつて、同文書が猥褻性のないことを確認したものではないのであるから、よしや被告人小倉がかく信じていたとしても正当な事由といわれず、犯意の成立を阻却するものでないことはいうをまたないところである。であるから原判決に所論のごとく犯罪の構成要件を看過した違法はない。また、原判決はその判示事実第一において「男女性交の状態を露骨に描写し人をして羞恥嫌悪の情を感じさせる猥褻な文書である相対会研究報告第一号乃至第六号」と判示し、その証拠として同文書(前同押号の八から一三まで及び二八から三三まで)を挙示しているのであるから、同文書のどの部分が猥褻記述に該当するかを逐一掲げなくとも、本件文書が猥褻文書であることの理由説明を欠如するものではない。この理は原判示第三の事実についても同様であつて、同第一の事実を受けて「前記猥褻な文書である相対会報告書」と判示し、前同押収物を証拠に挙示するをもつてその理由説明として足りるものである。しからばこの点について原判決に理由を附せない違法はない。かくして所論はいずれも排斥せらるべく、該論旨は理由がない。

(尾後貫 堀真 山岸)

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